ツーレポ四国編(寄稿 今中氏)

「四国、寡黙な二人旅」


第一章「のび太とジャイアン」

4月26日(金) PM6:20

 仕事を終えた僕は、田中さんと待ち合わせしているYPSへ向かった。すでに到着していた田中さんはいつものようにやる気のない態度で

「おぅ」

とあいさつしてくれた。

 比較的に会話の少ない僕と、本格的に会話の少ない田中さんとのちょっぴり寡黙なツーリングが始まった。

ところで田中さん。荷物は何を持ってきたん?」

「ノートパソコン。パンツとかの着替えは持って来てへんし向こうに着いたらどっかで買うわ。」


彼のこの返答に頭を抱え込む僕…

「何で着替えも持たずにツーリングに行くねん。しかもノートパソコンって…… あんたは“バーチャルツーリング”でもする気なんかい!(たしかにしょっちゅうキャバクラに行って疑似恋愛を楽しんでいるみたいやけど…)」

っと言いそうになったが、旅の始まりからもめるのも悲しいので、僕はグッと堪えたのでした。このように今回の旅は不安一杯の幕開けとなった。


4月27日(土) AM6:00

 僕達の乗せたフェリーは四国、松山へと到着した。松山はなかなかの青空も広がっており、絶好のツーリング日和であった。僕を先頭に二台のバイクは四国の山間を豪快に走り抜ける。今回はいつものロングツーリングのようにキャンプはせず、2泊とも宿に泊まる予定でいたので、バイクに積んでいる荷物も比較的少なく、スポーツライディングを楽しむことができた。

 四国の険しい山道にはガソリンスタンドが少ないので、燃費の悪い田中さんのバイクのことを考えて僕はあらかじめ給油するポイントを考えていたのだが、休憩がてらに寄った朝市のおっさんに地図に載っているスタンドの場所を訪ねたら

「ああ、そこにあったスタンドは潰れたわ。この先はもうスタンドないで。」

と言われた。このように計画通りうまくいかないからこそ旅は楽しいのかもしれない。しかたがないので、ここに来る途中で見かけたスタンドまで引き返したのでした。

 ガソリンを満たんにしたことで四国最大のスカイライン“石槌スカイライン”を快適に走ることができ、

「田中さん!どうこの道、適度なアップダウンがあって最高やろ! さっきいたところがあの辺やろ、ずいぶん登ってきたなぁ!」

「おう!」

というような会話できたのであるが、もしも休憩の時におっさんにスタンドの場所を聞かずに走っていたら山の中でガス欠になり、くそ重たいバイクを押しながら、

「どう田中さん…この道… 適度なアップダウンがあって最悪やろ… さっきいたところがあそこやろ… 全然進んでないね…」

「……」


ってなことになり、より一層寡黙なツーリングになっていたことだろう。

 運転技術はかなりうまい田中さんであるが、こと地理に関してはまったく役に立たない。その為常に僕が先頭を走っているのだが、彼は

「お前の後ろ走るのは恐い」

と言う。

「じゃあ田中さん前走ってくれるか?」

言うと

「道わからん。」

と答える始末である。四国にリベンジするよりも、まずこのワガママな男をどうにかしようと心に誓う僕であった。

 ツーリング先では休憩中などに僕達のバイクが他府県ナンバーということでよく人に話しかけられる。特に田中さんの所有するバイク モトグッチはデザインが変わっているので注目されるのだろう。おっさんとかによく話しかけられている。

「お兄ちゃんのこのバイクはどこのバイクや?」
「何ccあるんや? すごいスピード出るやろ?」

 などと質問攻めに遭っている。僕はこういった他人とやりとりしている時の田中さんのぎこちないしゃべり方や愛想笑いなどを見るのが大変好きである。本来、田中さんはあまり社交的に人と話すのを苦手としている“軽い引きこもり人間”である。(笑)僕ですらこうして田中さんと普通にしゃべれるようになるのに一年近くかかったぐらいである。

そんな田中さんが見ず知らずの人と会話をしている様子を見ていると最高である。

「うわ〜田中さんメッチャ困ったはる〜 アカンアカン田中さん、その笑い方やったら120%愛想笑いやってばれるで〜  ダメダメそうやって僕の方に視線向けたかて助けてあげへんもんね〜 フォッフォッフォ」

僕の田中さんに対するささやかな反抗である。

 雄大に広がる四国のカルスト大地、ここのレストランで昼食を取る。昼食後カルスト大地をバックに記念撮影をするが、田中さんは毎回撮影の時に中途半端なボケをかます。

「じゃあ田中さん一枚撮ってくれる。 ちょっちょっと!! 俺!俺を撮ってくれなあかんやん!なんでカメラを空に向けるの! ちょっちょっと! なんで自分のバイクをメインにすんの!! 俺!俺を撮らな! ちょっちょっと!!指!ユビ! 指でレンズ隠してどないすんねん!!」

僕がこうやって軽くツッコムから彼も調子にのってしまうのかもしれない…


 今回の旅の一番のメインはあの有名な“最後の清流四万十川”になびく何百匹もの“鯉のぼり”を見ることである。4月中旬〜5月中旬までのこの期間限定風物詩を見逃しては四国に来たかいがない。

 ここ数年恋愛から遠ざかっている僕にとって、この鯉のぼりを見ることで眠っていた僕のハートも“恋のぼり”ってな具合になってほしいと思っていたのだ。僕達は四万十川を目指して過酷な山道を進むのであった。

 走行距離はすでに400km近く走っていた。しかも走ってきた道は、あの悪名高き四国の国道(酷道)439号 通称“ヨサク”を代表するような狭くて荒れた山道である。対向車を気にしながらの走行は精神的にも肉体的にもかなり辛い。四万十川の鯉のぼりまであと20kmという地点で僕は田中さんに具合を聞いてみた。

「田中さん。もう限界?」

「限界。もう左手の握力がなくなってクラッチが切られへん。 もう鯉のぼりなんかどうでもいいし宿まで最短コースで行ってくれ。」


まるで売れっ子のタレント、略して“売れタレ”がマネジャーに

「映画撮影で疲れたさかい、午後の雑誌のインタビューはキャンセルしてくれ」

と言わんばかりの傍若無人な発言であったが、正直僕の方の疲労もかなりのものだったので彼の意見に従ったのでした。


PM5:30 

 今夜の宿に到着した。さっそく僕達は露天風呂に浸かり長旅の疲れを取る。

 夕食の時またしても田中さんのごっついワガママ、略して“ごつママ”が爆発する。人一倍食べ物の好き嫌いが多い田中さん。刺身は“生”やし食べないだのアユの塩焼きは「なんでこのアユ子持ちやねん!  卵が気しょいねん!」だのといって卵をほじくり出す始末である。そんな田中さんであるが、唯一好きな食べ物がある。それは“鍋物”である。今回の夕食には一人前の“水炊き”もあったのだ。

「田中さんは鍋はけっこう好きやったよな。」

「おぅ」

「あれ?鍋の海老が残ってるやん。 海老嫌いやったけ?」

「嫌いやないけど、この海老、皮が付いてるやん。 皮剥くんじゃまくさいしいらんわ。」


僕はこの男の将来の嫁さんに深く同情したのであった。

 夕食を終え、部屋に戻った頃には、夕食時に無理矢理飲まされたビールで僕は足元がおぼつかずフラフラ、略して“足フラ”であった。布団に倒れ込み眠りに入ろうとする僕に田中さんは、

「何寝てんねん! 俺はマッサージしに行って来るけど、もし戻ってきたとき寝てたらどうなるかわかってんな!」

 と、まるでドラえもんに登場するジャイアン的捨てぜりふを吐いて彼は部屋から出ていった。気弱なのび太の僕は“眠っちゃいけない!眠っちゃいけないぞ!”と自分に言い聞かせながら彼の帰りを待ったのであった。トホホ…


 2日目の朝、窓の外を見ると見事に雨が降っている。またしても四国リベンジならず…

 とりあえず天気予報を確認すると四国全域は“曇り所により一時雨”となっている。今いる所がいわゆる“所によりの所(わけわからん)”なのか…。しかたがないので朝風呂に入ったりしながらチェックアウトぎりぎりまで時間を潰すことにした。


AM10:00

 空は見事に晴れ渡たらず、カッパを着ての出発となった。田中さんのカッパは前回使用したときから一度も外に干していなかったらしく、見事に“カビ仕様”となっていた。

 僕達の出発と入れ違いで、なにわナンバーの車が到着し、女子大生と思われる4人組が温泉へと入って行った。もしも彼女達がもう1日早く到着していれば、

「へ〜大阪から来たんですか、僕等は京都から来てるんですよ。同じ関西人のよしみということで良かったら露天風呂で“裸のつっつきあい”でもしませんか?」

などといった事になっていたかもしれないこともないこともない。

 小雨が降る中、とりあえず天気予報で“くもり”と出ていた高知市を目指す。2時間ほど走ったところでようやく雨も止み、カッパを脱いで再出発。

 当初予定していた海沿いのワインディングは路面状況がウェットだったので今回は見送ることにした。(本当は曲がるところを間違えて通り過ぎてしまっただけなのだが…)ゴメン田中さん。

 その後 幕末の志士“坂本龍馬”の銅像が立つ桂浜へ寄ろうかどうか迷ったのであるが、多分田中さんは

「ほぉ〜」

といったような乏しい感想しか述べないだろうと思いここも見送ることにした。竜馬さん!! まっことスマン!! またいつかあなたに会いに来るぜよ!!

 海辺のドライブインで昼食をとる、ウェイトレスが注文を聞きにきたが、彼女は

「少々お時間がかかりますがよろしいですか。」

と言う、京都で3本の指に入る“いいひと”の僕は

「いいですよ。」

 と応え、料理が来るのを待っていた。たしかにレストランの中はほぼ満席状態であるが、周りの客達のテーブルには水しか出ていない。20分、30分と待つがいっこうに料理が出る気配がない。

 あまりの待ち時間にしびれを切らした客がぞくぞくと席を離れていく。ウェイトレスのおばちゃんに対し

「私達は観光で来てるんだ。これからまだ行くところがいくつもあるんだよ!」

 とお怒りの家族連れのお父さんなどがいて見ていて退屈しなかったのだが、結局僕達も注文してから約50分ほど待たされることとなった。田中さんはせっかく四国まで来ているのに“焼き肉定食”を食べていた。

 予定よりもやや時間が遅れていたのだが、温泉に寄ることになり海沿いから山の中へとルートを変える。温泉の場所が分からず、人の良さそうな婆ーちゃんに温泉の場所を訪ねると、

「この道を真っ直ぐ20kmぐらい走った所にあるで、あんたらモーターやさかいすぐに着くわ」

 と言われた。僕は最初“モーター”の意味が理解できなかったのだが、婆ーちゃんはオートバイの事をモーターと呼んでいるのだろう。コギャル言葉も難しいが年寄り言葉も理解するのに苦労する。

 温泉は期待していたよりもたいしたことなく、銭湯に毛が生えた程度だった。温泉を出て、別のルートを使って国道に戻ろうと思った僕なのだが、クネクネとした道を走っているうちにまるで方向が分からなくなってしまった… しかも途中からはいきなり舗装された道がなくなりダートに変わる。

 僕は“絶対この道は間違っている!”と確信していたのだが、前傾姿勢のバイクで辛そうについてくる田中さんになかなか言い出すことが出来なかった…

 そのダートを5km程走った辺りでさすがの僕もバイクを止め、田中さんに

「ごめん。道間違えた、引き返そう…」

 と言ったのだった。意外とその時田中さんは何一つ文句を言わずに一生懸命に狭いジャリ道でバイクをUターンさせていたのだ。ダートを抜けたら“おしおき”されるんじゃないだろうかとドキドキしていた僕であった。

 その後迷いながらもなんとか国道に戻る事が出来たのであるが、陽はすでに西の空に傾いており、予定していた室戸岬行きは断念せざるをえなかった。

 一日目は四万十川の鯉のぼりを見れず、二日目は室戸岬灯台に行かずと、まるで“映画館へ行って、予告場面で眠ってしまい、気づいたらエンディングだった…”みたいなツーリングである。

 夕方6時すぎ今夜の宿へ到着した。2日目の宿は海沿いの高台に建つ国民宿舎である。海沿いの高台ということでロケーション的にはバッチリなのだが、やはり古い国民宿舎だったため設備も料理も梅ランクであった。

 1日目の旅館が一泊2食付14000円だったのに対し、ここは一泊2食付8000円である。差額6000円分の差は大きかった…。1日目の旅館の部屋は8畳 トイレ付 冷蔵庫付であり、食事をしてから部屋に戻ったら、きちんと布団が敷かれており

「おぉ〜!  すぐに寝れてうれしぃ〜!」


だったのだが、2日目の宿の部屋は6畳 トイレなし 冷蔵庫なし 全体にやや汚れ付といった感じであっ
た。食事をしてから部屋に戻ると、僕達の脱ぎ捨てたジーパンやら靴下などが散乱しており、

「おぇ〜! かたづけて布団敷かなあかん、かなしぃ〜」

であったのだ。

                                  おわり

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