オートバイ短編小説

「モチーフ」


年末の帰省ラッシュの中、何とかキャンセル待ちで飛行機のチケットを手に入れた私
は故郷鹿児島へと里帰りする事ができた。
やっぱり関西に比べると鹿児島は暖かい。
都会の生活に憧れ実家を離れたけど、こうして年に2回ほど帰郷するたびに、やっぱ
り鹿児島の空気は自分に合ってるなぁと思う。
搭乗ゲートを抜けて辺りを見回すと、彼がキョロキョロとしながら私の姿を探してい
た。
私が軽く右手を上げると、気付いた彼は両手をポケットに入れたままゆっくりと私の
元へと歩いてきてくれた。

彼と付き合うようになったのは、4年半前の春に福岡で行われた高校の時の同窓会で
顔を合せたのがきっかけだった。
もともとはお互い九州の鹿児島で生まれ育ち、高校卒業後進学でそれぞれ福岡に出た
のだが、短大を卒業した私は一旦は同じ九州の福岡に就職したのち1年後には関西へ
と転勤することになったのだ。
九州と関西で遠距離になってしまった私たちはお互いの仕事の関係で1、2ヶ月に一回
ぐらいしか会うことができない。

「おかえり。」
久しぶりに会ったというのに彼はあいかわらずトレーナーにジーパンというラフな格
好で私を迎えてくれた。
どちらかというとビシッとした格好をする男性の方が私好みなのだが、私が彼にファッ
ションの事を言うと「俺のスタイルは俺が決めるものだろ。俺は周りの声で自分のス
タイルを替えるような薄っぺらい男にはなりたくないんだ。」と突っ張り返すのだ。
彼のそんな頑固な部分はいまどき九州男児でもめずらしい。

「ねぇ、そのワッペンまだ付けてるの?」
私は彼のトレーナーの左胸に縫い付けられたワッペンを指しながら彼に聞いたのだっ
た。
「ああ、俺の大事な主題だからな。」
彼は当り前のように答えるのだった。

確か私たちが付き合うようになった頃だろうか、当時彼の仲間内では自分の好きな言
葉やイラストをワッペンにしてTシャツや上着などに貼付けるのが流行っていたのだ。
ある者は“闘魂”と書かれたワッペンであったり、またある者は自分で描いたペット
のイラストをワッペンにしていた。
彼はというと当時から“I MOTIH”と書かれたワッペンをTシャツに貼付けていた。
彼に文字の意味を尋ねると「ああ、これな、“I MOTIH”アイ、モチーフって書いて
あるのさ。モチーフは“主題”や“テーマ”という和訳があるんだ。つまり俺にとっ
て生きていくうえでの一番大切なテーマって事さ。」と彼は答えたのだった。
「何それ? 訳分かんない?“俺の主題”? だったら普通は“マイ、モチーフ”じゃ
ない?それに“モチーフ”のつづりって最後はHじゃなくFじゃなかったかしら?」と
私が訂正すると
彼はムッとした表情で「うるせ〜なぁ、Fだったら落第になるだろ。」と返したのだっ
た。
しかし4年半たった今でもそのワッペンを付けているのには驚きだ。よっぽど彼は
“俺の主題”にこだわっているのだろう。


彼の運転する車は錦江湾に沿って海岸線を南下する。ステアリングを握りながら彼は
窓の外に映る桜島を眺めている。
夕陽に照らされた桜島は黄金色に染まり、鹿児島の夕焼けを一層幻想的なものへと変
えている。

何か考え事をしているのか彼は私の呼びかけに気付かない。
「ねぇ、聞いてるの?」
3度目の呼びかけでやっと彼は私の方に振り向いた。
「あ…悪い… 何だった?」
今日の彼はどことなく態度がおかしい。
「ねぇ、覚えてた? 次の春で私たちが付き合い出して丸5年も経つって?」
「そうか…もうそんなにも経つのか…」
彼はいつもよりも低いトーンで答えるのだった。
「結局この4年半の間にあなたは一度も私の事をちゃんと“瞳”って名前で呼んでく
れなかったわね。 いつも“おい”とか“お前”って言うだけで」
彼に言わせると九州男児は軽々しく自分の彼女の事を名前で呼ばないらしい。まして
や“愛してる”などとは口が裂けても言うことはないのだそうだ。
別に私はそんな彼を責めるわけではないのだが、なんだか自分は愛されていないみた
いでとても不安になるのだ。
“本当に彼は私を愛してくれているのだろうか?”遠距離になってしまった今では日々
その気持ちが強くなってしまった。
彼が私に気持ちを伝えてくれたのは後にも先にも一度きりだけだし。しかもその時も
彼らしい一言を添えてである。

「ねぇ、私たちの5周年目の記念日は昔二人でドライブした九州のやまなみハイウェ
イを今度はオートバイで走りたいんだけど。」

私がオートバイに乗ることに反対している彼にとってはあまり良い提案だとは思わな
かったが、二輪の免許を持っていない彼に私は少しでもオートバイの楽しさを知って
もらいたかったのだ。
「バイクか…」彼はまた窓の外に目を移して興味なさそうに呟くのだった。

「ねぇ、ライダー同士がツーリング中にすれ違う時にあいさつするって知ってた? 
“ピースサイン”って言って、道ですれ違うときにサッて左手を上げるのよ。 ほら、
前に私たちが車でやまなみハイウェイを走っていた時、私たちの前を走っているオー
トバイに向かって対向車線を走ってくるオートバイが手を上げてたじゃない。あの時
はあなたはこの先で取り締まりがあるかもしれないからシートベルトをするように促
したけど、実はあれはライダー同士があいさつを交わしてたのよ。」
「オートバイに乗っている友達に聞いたんだけど、最近関西とかではあまりピースサ
インを目にすることが無くなったんだって、だけど九州のやまなみハイウェイならほ
とんどのライダーが出してくれるだろうって言ってたの。」

私の言葉を遮るようにそれまで黙っていた彼はボソリと口にした。
「…なぁ、俺と別れてくれないか?」
「えっ…?」まったく予想もしていなかった彼の言葉に私は自分の言葉を見つける事
が出来なかった。
ようやく彼の言葉の意味を理解した私は彼に聞き返した。
「ねぇ…理由は話してくれないの…?」
黙ったまま前の車のテールランプを見つめていた彼はゆっくりと口を開いた。
「好きな娘が出来たんだ… 」
「そう…」私はうつむきながら彼の返事を受け止めたのだった。

私の実家の前で彼は車を止めた。
別れ際、彼はほとんど聞き取れない程の声で「すまない…」と口にしたのだった。
私を下ろした後、エンジンが掛かり車は静かに走り出す。
彼の車のテールランプが夕闇に吸い込まれていくまで、私はその場に立ち尽くしたま
まだった。


私がオートバイの免許を取って間もないころフラフラと立ち寄ったバイク屋でこんな
ことを言われた。
その30代後半ぐらいに見える、人の良さそうなバイク屋の店員さんは「初心者の女の
子が最初からカワサキのバイクに乗るのはあまりお勧めできないよ。」と忠告したの
だ。
私が理由を尋ねると店員さんは「カワサキというメーカーは他社と比べて故障も多い
し、造りも結構雑だしね。 まぁそんな人間臭い所に魅かれてカワサキに乗る人も多
いんだけどね。でも初めてのバイクなら優等生なホンダにしなよ。」と答えたのだっ
た。

男っぽくて硬派な“カワサキ”、頑固で愛情表現が下手な“九州男児”、どこか同じ
ような匂いがする。私はきっとそんな理由で彼を思わせるようなカワサキのエストレ
アを選んだのかもしれない。

実際、エストレアというオートバイはしばらく乗らなかったらすぐにバッテリーがあ
がったり、錆にも弱く、その度に私は寒空の下ひたすら一人で押し掛けをし、金属ブ
ラシを買ってきては泥まみれになりながらも必死に錆落としに奮闘するのだった。
少し前まではお酒を飲みに行くことと買い物にしか興味がなかった私が、今はこうし
て自分の手を汚してオートバイを磨いている。
学生の頃の私しか知らない女友達が今の私を見たらきっと目を丸くするだろう。


彼と別れてから3ヶ月が経とうとしていた。
ニュースでは九州地方から徐々に桜前線が北上を始めていると伝えている。
今頃実家の鹿児島では見事な満開を迎えているに違いない。
ふとその時ガラステーブルに置かれている私の携帯電話が鳴り響いた。
今だに携帯が鳴るたびに“ちょっとしたら彼かも?”と思ってしまう事がある。
彼からの呼び出し音だけは違う曲に変えてあるのですぐにわかるのに…
携帯の前面の液晶パネルを見ると短大時代の友人昌乃からだった。
昌乃の旦那さんは彼と同じ職場で働いている。
私が彼と別れるまでは4人で何度か食事したこともあったが、彼と私が別れてからは
昌乃とも一度も連絡してなかった。

「もしもし…瞳…?」
いつも元気良く電話を掛けてる昌乃だが、今日はやけに声が暗い。
「昌乃、久しぶりね。 何かあったの?元気ないじゃん?」
私が聞くと、昌乃は言いにくそうに話し出したのだった。

昌乃は彼からきつく口止めをされていたらしい。
昌乃の話によると、私と彼が別れた頃、彼はとても難しい病気にかかっていたそうだ。
たとえ手術をしても成功する確率は極めて低いものらしかった。
彼は私と別れた本当の理由を昌乃に話したそうだ。
“俺の病気の事を知ればアイツは今の仕事を辞めてでも俺の元に駆けつけるだろう…
 『一流のメイクアップアーティスト』になるという夢があるアイツにとって今はと
ても大事な時期だ。 俺の病気の為にアイツに夢を諦めてもらいたくないんだ。 も
しも俺の為にアイツが夢を諦めたら、きっと俺は自分の病気以上に重いものを一生背
負い続ける事になるだろう。”

幸い彼の手術も成功して、2ヶ月に及ぶリハビリの末、失われていた彼の体力も徐々
に回復し今では元の生活に戻る事ができたらしい。
元気になった彼に昌乃は何度も私へ連絡することを勧めたのだが、彼は“今さらアイ
ツに会わす顔がない。”と言って私への連絡を拒んだそうだ。


昌乃との電話を切った私は しばらく考えた後、彼の番号を押した。
「トゥルルル… トゥルルル… 」
10回目の呼び出し音の後、留守番電話へと切り替わる。
電子音の後に私はメッセージを吹き込んだ。
“瞳です…明後日の正午、あなたが初めて私に気持ちを伝えてくれた『あの交差点』
で待ってます。”



桜並木が続くこの大通りの交差点。
私は桜の木の下にエストレアを停め、ひたすら彼が現れるのを待つ。
時折吹く爽やかな春風が桜吹雪を作りだす。
道路に舞い落ちる桜の花びらが淡いピンク色の絨毯を敷き詰める。

彼が今日ここに現れるという保障はどこにもなかった。
だから私は彼と会う日を今日に決めたのかもしれない。そう、結局私は自分自身も傷
つきたくなかったのだ。もし彼が現れなくても今日ならばすべての事を笑い話として
済ますことができるから…

彼が私に気持ちを伝えてくれたのは後にも先にもあの日だけだ。
5年前の同窓会の帰り際、彼はこの大通りの交差点で私のためにタクシーを止める為
に手を上げてくれた。
右手を上げ、車の流れに目をやりながら彼は振り向かずに私に伝えてくれた。
「なぁ、君を好きになった。」
突然の彼からの告白に私は戸惑ってしまい、「本気で言ってくれてるの?」と返した
のだ。
すると彼は「ウソかもしれないし本当かもしれない。ただ、今日は4月1日だし、たと
え振られたとしても笑ってられそうだ。」と苦笑いを浮かべながら答えたのだった。


腕時計に目を落とすと、2本の針は重なり合って真上を指していた。
交差点の向かいにある教会からは12時を告げる鐘が鳴り響く。

私はゆっくりと周りを見渡し彼の姿を探すが、それらしき人影を見つけることはでき
なかった。
溜め息をもらしながらヘルメットを被り、慣れた手つきであごひもを締める。
ゆっくりとエストレアを車道へと押し出し、セルを回し、エンジンを掛ける。
ギヤをローに入れ、クラッチを繋ごうとした瞬間
「ポンッ」と誰かに肩を叩かれた。
振り返ると、小脇にヘルメットを抱えた彼が苦笑いしながら立っていた。

「やあ、偶然だな。ちょうど良かったよ、やまなみハイウェイに用事があるので乗せ
てくれよ。」
そう言いながら彼はエストレアのタンデムシートに跨がったのだった。
私の目に熱いものが込み上げてくる。
私は精一杯平静を装いながら彼に尋ねるのだった。
「ねぇ、ところで新しい彼女とはうまくいってるの?」
すると彼はいたずらっ子のような顔で笑いながら「ああ… あれな…、実はよく見た
ら男だったんだよ。」と答えたのだった。
「ば、ばかね… 今度からはちゃんと確かめてから好きになることね。」
潤んだ目を彼に見られたくない私は振り返らずにそう返したのだった。
目頭を押さえながら黙り込んだ私に彼は心配そうに声を掛けてくる。
「どうした?大丈夫か?」
私は首を横に振りながら答える。
「何でもない…ちょっとコンタクトがずれただけ…」そう言ってバックミラーを覗き
込んだのだ。
ミラーに映りこむ彼の姿を見た瞬間、それまでこらえていた涙が頬に流れ落ちる。
そう、その時初めて私は理解したのだ。彼が大切にしている“俺の主題”の意味を…

ミラーに映り込んだ彼のヘルメットには“HITOM I”と読めるワッペンが貼られてい
た。


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